モジモジ君の読書記録。みたいな。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-02-16

[]1リットルの涙(13) 1リットルの涙(13) - モジモジ君の読書記録。みたいな。 を含むブックマーク

1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記 (幻冬舎文庫)

1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記 (幻冬舎文庫)

 脊髄小脳変性症の少女・亜也の日記。本の背中には「最期まで前向きに生き抜いた少女の言葉が綴られた感動のロングセラー」と書いてある。しかし、この本はこんな読まれ方をされるべき本ではない、と断固述べておく。たとえば、病気の進行した亜也が、普通高校に通えなくなって養護学校に転校する、という場面。

 千羽鶴を折って、わたしの幸せを願ってくれるのは嬉しい。

 でも、「亜也ちゃん、行かないで」と言ってほしかった。(p.86)

 この本の値打ちは、思うに、亜也と(間違いなく亜也に対して善意を持っているはずの)周囲の人たちとの間に、それでも生じていた「ズレ」が書き込まれているところにある。そして、このズレが意味するものの真実を、読み手の私たち自身を抉るような深さと角度で読み取らなければならない。

 そこに描かれているのは、難病ゆえの、つまり彼女が個人的に、運命的に引き受けざるを得ないというような性質の困難さだけではない。すべてではないが、少なくともそれら困難さの多くが、病を抱える彼女を取り巻く社会のあり方に由来する困難さなのだ。いかに病が過酷であろうと、適切な介助支援があれば彼女は友人たちと別れる悲しみなど経験する必要もなく、通いたかった高校に通って卒業できたかもしれない。彼女の介護のために家族が重荷を背負うこともなかったはずなのだ。この本を通して、難病者、あるいは重度障害者とその家族を取り巻く社会が浮かび上がってくる。それは私たちの社会の、つまりは私たち自身の姿である。「素直に感動」などしている場合ではない。

 で、なんでこの本を読んだかと言うと、福祉問題への導入教材として使えないかと思ったからだ。気になった場面々々を読ませて設問を考えさせるという形で、結構よい教材として使えそうだ。(そんなわけで、僕のこの本は、なぜか付箋だらけである。)

 ちなみに、昨年末のドラマ化も、結構よかった。もちろん、民放の商業主義ゆえの、いろいろケチをつけたくなるようなところがなかったわけではない。しかし、この本の値打ちであるところの「ズレ」について、前面に押し出すとまではいかないにせよ、しつこく丁寧に描き込んでいた場面はいくつもあった。そんなこんなで、ドラマDVD(asin:B000BSQN48)の発売にも、ちょっと期待。