aullyの読書日記 このページをアンテナに追加

2007-03-18まんがばっか

[](013)『「負けた」教の信者たち - ニートひきこもり社会論』 22:10

「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ)

「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ)

これはとある男性からの借り物。「負けた」教の信者である彼氏からの借り物。

彼が共感した部分引用。というかこの本の中での本論はここだけじゃないんか、って部分

勝敗を決定づける軸の一つは、あきらかに「コミュニケーション」である。私は若者の対人評価基準が、いささか「コミュニケーションスキル」に偏りすぎているような印象を数年前から持っている。いまや学校の教室は「友人が多く、笑いが取れる人間」の一人勝ち空間であり、「勉強ができる」「スポーツが得意」「絵やゲームなどの才能がある」といった属性ほとんど重視されなくなりつつあるのではないか。

この空間でコミュニケーションが苦手と思いこまされてしまった子どもは、早々と自分自身を「負け組」に分類してしまう。ひとたびそう思いこむと「自分は日陰の人間であり、日の当たるがわには一生行けない」という極端な思い込みが固定化しやすくなる。ここに二極化の萌芽があるのだ。携帯電話メールチャットなどといったメディアの発達が、この二極化をいっそう推し進める。

メディアの発達」、のところで、この前に読んだ「ウェブ進化論」を思い出した。Web2.0って、それその物が共同体精神を発展させていくものだと思うし、その中で発展著しいWebサービスと言えばコミュニケーション系の技術な気がする。ブログWikiSNS。彼はmixi開店休業状態。どうしようもない疎外感を抱えているのを見るたびに不思議に思うんだけど、彼の気持ちを上記の文章は如実に説明してくれているように思う。


以下は6章の対談での文章。

対人恐怖症の人は一般に、家族をはじめ親密な人と、全然知らない人をまったく恐れません。逆に恐れるのは、半分ぐらい知っている人。たとえば「クラスメートだけどしゃべったことがない子」が苦手なんです。近所の人というのも同じ。

ここで彼が対人恐怖症であることが判明(笑)。涙を流さんばかりに「そうそう、そうなんだよ!」とうなずいてた。私にはこの感覚は理解できないけど。レッテルを自らに貼る事によって救われることも、あるよ、ね。「負けた教」の信者である対人恐怖症の彼は、いつも誠実で優しく、朗らかな青年です。この印象は内弁慶状態のみを見て感じるものだったのかしら。